一三世紀中頃の西山流の僧。生没年不明。筑前国原山の無量寺(廃寺)、同国智恩寺等に住した。幼い顕意けんに(深草義大成者)を養育し、その母との間に二男二女(智賢・賢戒・不断光院・無辺光院)を儲けた。立信(深草義祖)も実子という説がある。著書は残っていないが、『源流章』は証空門下の四番目にその名を挙げる。一遍の師として知られ、『一遍聖絵』一、三には、その草庵の様子が描かれている。
【参考】金井清光『一遍と時衆教団』(角川書店、一九七五)、萩原勝学「『観経疏楷定記』の写本について」(『深草教学』一二、一九九二)
【執筆者:稲田廣演】