京都市下京区寺町通四条下る貞安前之町。多聞山。京都教区№九五。平重盛建立の灯籠堂がはじまり。中興は立誉定意。当寺の濫觴らんしょうである灯籠堂は、小松谷にあったが、東洞院高辻下るに移り、天正一九年(一五九一)に、豊臣秀吉の命で現在地に移る。重盛の灯籠堂の時代、阿弥陀仏像を四八体造り、各々の仏前に灯火をつけ、供養したという。文安年間(一四四四—一四四九)に定意が、廃寺となっていたのを再興し、浄土宗とした。
【執筆者:角野玄樹】