—明治二〇年(一八八七)八月一二日。広蓮社開誉要行阿浄教。金戒光明寺五八世。尾張国海西郡草平村の人。天保五年(一八三四)四月上州高崎安国寺徳演のもとで得度し、増上寺で研鑽を積む。慶応二年(一八六六)二念庵に住し、明治六年(一八七三)四月に小机泉谷寺へ転住、同九年四月に権少教正に任ぜられ、翌月三河大樹寺へ移る。同二〇年五月黒谷に晋山。示寂後に正僧正を贈られている。
【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)
【執筆者:髙橋寿光】