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岌州

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎゅうしゅう/岌州

—文禄元年(一五九二)。団蓮社円誉太翁。生国は陸奥国河沼郡。俗姓は生江氏。百万遍知恩寺三〇世。戦国時代末期に政治的に活躍した高僧藤田派伝法系に属す。河沼郡青木の正徳寺岌円のもとで剃髪得度し、会津黒川(福島県会津若松市)の高巌寺岌天に師事、越後蒲原郡津川(新潟県五泉市)の新善光寺住持を経て知恩寺に進んだ。永禄三年(一五六〇)には上杉謙信の招請に応じて、近衛前久・聖護院道澄・知恩寺前住岌長らとともに越後へ下向する。同五年に帰洛し、同八年には落雷で焼失した御影堂再建募縁のために四国へ下向、元亀三年(一五七二)に知恩寺を退山して堺旭蓮社に移住、その復興に努めた。天正七年(一五七九)には宮中で『阿弥陀経』を進講した。


【資料】『言継卿記』、『御湯殿の上の日記』、『上杉年譜』、『新撰往生伝』三(浄全一七)、『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)、『新編会津風土記』四


【参考】佐藤博信「越後上杉謙信と関東進出」、近衛通隆「近衛前久の関東下向」(共に『戦国大名論集』九、吉川弘文館、一九八四)


【執筆者:藤本顕通】