—嘉永元年(一八四八)八月三日。顕蓮社赫誉光明阿宝喜。知恩院七〇世。生地不明。増上寺寮主から館林善導寺四〇世、太田大光院五七世を経て、弘化二年(一八四五)五月二六日、台命をうけ知恩院へ晋董。この知恩院入山については、知恩院六九世順良が老齢のため辞任後の後任が容易に決まらず、知恩院役者より寺社奉行内藤信親へ嘆願書を提出するなど、歓幢が知恩院に入るまで約半年を要した。在任は三年余りで嘉永元年八月三日に入寂したとされるが、墓碑には嘉永元年七月二六日とある。
【資料】『華頂誌要』『浄源脈譜』(共に浄全一九)、井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】