法然没後四八六年の元禄一〇年(一六九七)正月一八日、東山天皇より勅諡された大師号。前年に知恩院白誉秀道が京都四箇本山で話し合い、増上寺貞誉了也を通じて徳川綱吉とその母桂昌院に大師号贈号を依頼した結果、勅諡が決まった。当初は大智慧光・智慧光・慧光の三案あったが、最終的には『四十八巻伝』に出てくる、法然が九条兼実邸で頭に円光を頂き、蓮台に乗っていた姿にちなみ、円光大師となった。
【資料】『日鑑』(知恩院所蔵)
【参照項目】➡大師号
【執筆者:伊藤真昭】