和歌山市堀止西。白道山幡随院。和歌山教区№二。幡随意の開基。万松寺まんしょうじと号したこともある。幡随意は晩年、徳川家康の命を受けて九州北部のキリシタンを改宗教化した。その帰路にあった慶長一九年(一六一四)紀州の大立寺に逗留した折、和歌山城主浅野長晟ながあきらに寺地を請うが、いまだ得ずして翌二〇年正月五日に遷化。同年(改元して元和元年)、その遺志を継いだ弟子の円甫が雑賀荘塩道村(和歌山市島崎町周辺)に当寺を建立した。延宝五年(一六七七)に現在地に移転。
【資料】『幡随意上人行状』、『蓮門精舎旧詞』三四(続浄一九)、『紀伊続風土記』二一
【執筆者:横田善教】