悟りの資糧となる慈悲と智慧との徳分が完全に具わったこと。仏の円満性だけでなく、仏教者の目標とすべき境地をも指す。悲智円融、悲智果円は同義語。唐・李通玄撰『新華厳経論』(正蔵三六)に多く見られる。インド仏教以来、多くの仏典において智慧と慈悲の双運が重視された。それらは車の両輪にも譬えられ、例えば『維摩経』には「方便(慈悲の手段)による支えのない智慧は束縛、方便による支えのある智慧が解脱、智慧による支えのある方便が解脱(趣意)」(正蔵一四・五四五中)と説かれる。善導『観経疏』玄義分にも悲智双行について言及される。
【執筆者:中御門敬教】