—宝暦八年(一七五八)一二月四日。本蓮社誓誉。清浄華院五一世。元文三年(一七三八)一二月に川越蓮馨寺二二世となり、寛保二年(一七四二)三月(『川越蓮馨寺志』では二月)台命と勅請によって清浄華院に転昇した。延享二年(一七四五)阿州侯蜂須賀宗英むねてるの供養料として永代米二〇石が寄附された。また関通を寺に招き、一夏の間『帰命本願鈔』を講説させた。同三年三月一八日に隠退し、宝暦八年一二月四日に没した。
【資料】『関通和尚行業記』(浄全一八)、『浄源脈譜』(浄全一九)、『川越蓮馨寺志』『清浄華院誌要』(共に浄全二〇)
【執筆者:石川達也】