千々和宝天
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:29時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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ちぢわほうてん/千々和宝天
明治二八年(一八九五)一〇月二二日—昭和三六年(一九六一)九月二日。大蓮社光誉明阿。字は普天。福岡県遠賀郡岡垣町に秋武万太郎の子として誕生。明治四〇年(一九〇七)同郡芦屋町光明寺の千々和光天について得度。宗教大学宗教部本科、研究科に学ぶ。宗像郡津屋崎町(福津市)勝浦大乗院、遠賀郡遠賀町浅木西光寺、北九州市八幡東区春の町華頂寺の住職を歴任。大正一四年(一九二五)知恩院常任布教師に任命され、昭和七年(一九三二)宗会議員に初当選。同一六年宗会副議長、同二一年知恩院執事に任命され教務部長に。浄土宗分裂期には本派側につき、知恩院執事長、代表役員を務め分裂問題解決に大きく貢献した。同四九年大僧正追贈。
【参考】大橋俊雄『浄土宗仏家人名事典近代篇』(東洋文化出版、一九八一)、高橋良和『分裂十五年—けわしかった浄土宗合同への道』(中外日報社、一九六三)
【執筆者:市川定敬】