胎生往生と辺地往生は、同じなのか、違うものかという議論。『無量寿経』下において疑惑往生が説かれる中で「かの辺地の、七宝の宮殿に生ずれば」(聖典一・二六七/浄全一・二七)、「かの国の人民、胎生の者あり」(聖典一・二八〇/浄全一・三三)と辺地と胎生が別となっていることから発せられる問題。良忠は『東宗要』三において「尋ねて云く、大経所説の辺地と胎生と、同異は如何。答う。同じなり」(浄全一一・六八上)と、胎生と辺地は同じであるとし、曇鸞『略論安楽浄土義』の説などを用いて、その理由を明らかにしている。
【参照項目】➡胎生二、胎生懈慢同異、辺地往生
【執筆者:曽和義宏】