八世紀頃、生没年不明。青丘沙門。新羅僧。「海東の慈恩」や「新羅瑜伽の祖」などと称され、唯識および因明に通暁していたと伝えられる。計五五部に及ぶ多数の著書があったとされるが、その大半が散逸した。浄土教に関しても『阿弥陀経古迹記』『無量寿経古迹記』『観無量寿経古迹記』『称讃浄土経古迹記』『浄土総料簡』の五部を著したとされるが、すべて散逸し、『本願薬師経古迹』『梵網経古迹記』『大乗起信論内義略探記』『菩薩戒本宗要』『成唯識論学記』のみ現存する。
【参考】鎌田茂雄『朝鮮仏教史』(東京大学出版会、一九八七)
【執筆者:山中行雄】