—明和元年(一七六四)一一月一五日。称蓮社法誉専阿仏寿。清浄華院五三世。はじめ小石川伝通院で修学し学頭職となった。当時の檀林住職はほとんど増上寺学頭が推おされていたが、台命により鴻巣こうのす勝願寺二五世となる。宝暦三年(一七五三)一一月、清浄華院に晋董した。同五年九月、越前国正覚寺の唱導を復興させた。同九年、京極宮民部卿親王より表門通りの築地塀を寄進されるなど、寺門整備につとめた。
【資料】『清浄華院誌要』『鴻巣勝願寺志』(共に浄全二〇)
【執筆者:今井英之】