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持戒往生・破戒往生

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じかいおうじょう・はかいおうじょう/持戒往生・破戒往生

持戒往生は戒をたもって往生を得ることで、破戒往生破戒の者の往生のこと。いずれも『観経』に説示される、それぞれの機根に応じた往生の品位があるという理解によるものだが、善導は『観経疏』玄義分で「またこの『観経』の定善、および三輩上下の文意をるに、すべてこれ仏世を去りたまいて後の、五濁ごじょく凡夫なり」(聖典二・一七六)といって、『観経』の九品それぞれに説かれる往生人は、すべて五濁凡夫であるとしている。同様に聖光徹選択集』では、法然の言葉として「我はこれ破戒の身なり。然りといえども弥陀本願口称念仏の力に依って決定往生を遂ぐべし」(聖典三・二八八)と述べられ、法然が自らの身を破戒の身としながらも決定往生の身であると表明している。このように善導法然は、往生機根はみなこの破戒人を含む凡夫であるとしている。


【参考】坪井俊映『浄土三部経概説』(法蔵館、一九九六)、柴田泰山『善導教学の研究』(山喜房仏書林、二〇〇六)


【執筆者:郡嶋昭示】