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勤息義城

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ごんそくぎじょう/勤息義城

弘化五年(一八四八)八月五日—大正一〇年(一九二一)一一月二日。荘蓮社厳誉功阿護法。小石川伝通院六九世。宗学者、教育者。尾張国丹羽郡にわのこおり(愛知県丹羽郡)に生まれ、一〇歳のときに大雄寺(岐阜県高山市)において得度し、義城と改名。慶応二年(一八六六)に増上寺において宗乗を修め、翌年に宗戒両脈相承する。同四年に京都に入った後は、唯識因明・天台学などを修める。明治九年(一八七六)からは浄土宗西部宗学本校に学び、卒業後には同校の教授を拝命。同一二年一心院(大阪市天王寺区)に晋董した。同二六年浄土宗学本校教授に任じられ諸学を講じるが、翌年、小石川伝通院に転董した。同二九年勧学に叙せられる。同三一年には淑徳高等女学校の校長に就き、並行して浄土宗専門学院天台宗大学・豊山大学などの教壇に立つ。同四二年に伝通院本堂が焼失したため、仮本堂を建立。大正二年(一九一三)大恩寺(京都市左京区)に隠棲した後は浄土宗専門学院教授として宗乗および天台学を講義した。世寿七四、没後に大僧正が追贈された。著書に、『選択本願念仏集玄談』(一八八八)、『科註入阿毘達磨論』(澤田吉左衛門、一八八八)、『八宗綱要私記』(同、一八八九)などがある。


【参考】佛教専門学校文書部編『摩訶衍』三—一(佛教専門学校文書部、一九二三)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:江島尚俊】