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後白河法皇

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ごしらかわほうおう/後白河法皇

大治二年(一一二七)九月一一日—建久三年(一一九二)三月一三日。七七代天皇。鳥羽天皇の第四皇子。名は雅仁。母は待賢門院藤原璋子。今様に通じ、『梁塵秘抄』二〇巻を撰したことで著名。久寿二年(一一五五)に即位するが、これを契機に保元の乱がおきる。保元三年(一一五八)二条天皇に譲位して院政を開始し、以後五代三四年間院政をしいた。承安四年(一一七四)には法然を招き受戒し、『往生要集』の講義を請じた。建春門院追善のため等身阿弥陀仏像供養し、自らも最勝光院において念仏結縁するなど、浄土教への信仰が厚かった。


【資料】『四十八巻伝』四・一〇(聖典六)、『翼賛』四(浄全一六)、『愚管抄』(『国史大系』一九)


【執筆者:笠島崇信】