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勝尾寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かちおでら/勝尾寺

大阪府箕面みのお粟生間谷あおまたに。応頂山菩提院。「かちおじ」「かつおじ」「かつおうじ」ともいう。高野山真言宗。西国三十三所第二三番。二階堂は法然上人二十五霊場第五番。建永の法難による配流を許された法然が帰洛までの四年間滞在した寺院。宝亀六年(七七五)開成かいじょう皇子の創建で弥勒寺と称したが、後に勝尾寺と改称。法然は西の谷の草庵に滞在し、当寺へ所持の一切経や法服を施入した。建暦元年(一二一一)正月二一日夜、善導が現れて法然布薩戒を授け、その証拠に二人は壁板に影を遺したという(『応頂山勝尾寺縁起』)。西の谷の草庵阿弥陀仏本尊とする二階堂へと発展し、常念仏、万日回向が修され、徳本も毎月一五日の別時念仏道場とした。天保一四年(一八四三)一心寺五〇世顕興は二階堂を再建。現在の本尊は壁板の二祖の御影で、毎年四月に麓の浄土宗寺院御忌を勤める。


【資料】『四十八巻伝』三六、仏全一一八、『箕面市史』史料編一~三(箕面市役所、一九六八・一九七二・一九六九)


【参考】定恵苗「祖跡勝尾寺」(『摩訶衍』一一、一九三二)、山本博子「法然上人霊跡第五番勝尾寺二階堂について」(印仏研究四三—一、一九九四)【図版】巻末付録


【参照項目】➡布薩戒徳本法然上人二十五霊場


【執筆者:山本博子】