水の冷たさや暖かさは、水を飲む者自らが実際に経験することによってのみ知ることができるということ。冷煖りょうなん自知とも。悟りの境界はその人自身の体験によってのみ領知することができるということをたとえたもの。『大毘盧遮那成仏経疏』一二に「水を飲みて冷熱自ら知るが如き、尚飲まざる人の為に説くべからず、況んや如来の境をや」(正蔵三九・七〇九中~下)と説かれるのがその例である。
【執筆者:長尾隆寛】