一七世紀中頃、生没年不明。号は楊柳。常陸国の人。幼くして哲翁について出家、増上寺で三縁山学寮に入り知哲らに宗乗を学ぶ。のち南都、京都に遊学し俱舎・因明・唯識などを修めた。また儒学にも精通していた。増上寺に帰山後は南谷に住し権実の群典を講ずる。貞享元年(一六八四)春には伊勢国桑名に行化する。のち京都正念寺に住し教化活動に励んだ。
【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『鎮流祖伝』八(浄全一七)
【執筆者:永田真隆】