順長
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅんちょう/順長
慶長五年(一六〇〇)—延宝四年(一六七六)一〇月二三日。闡蓮社広誉。金戒光明寺三三世。常陸国水戸の出身で、芝増上寺において随波のもとで得度・修学した。その後、小金東漸寺一二世の住職に就任してからは、三蔵に精通していたことから法談を得意とし、その博覧ぶりは他の檀林を圧倒した。その名声が世に知れ渡るや、幕命によって寛文四年(一六六四)に金戒光明寺の三三世に推挙。黒谷在任中は、京都の伏見、大坂の堺の末寺に赴き財をつのり、山内の諸堂の復興に尽力。また同一〇年に廃寺になった吉田寺から千手観音を迎え入れ、それを祀る観音堂を山内に建立。さらに同一二年には大曼陀羅を作製した。延宝元年(一六七三)一〇月には、勢至堂にて常行念仏を勤め、同四年には勢至堂を再建したが、同年一〇月二三日に遷化。
【資料】『黒谷誌要』『小金東漸寺志』(共に浄全二〇)、『浄源脈譜』(浄全一九)、『鎮流祖伝』七(浄全一七)
【執筆者:井野周隆】