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「愚鈍念仏」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版

ぐどんねんぶつ/愚鈍念仏

一切の思慮を交えず、衆生救済する阿弥陀仏本願力を信じて念仏すること。浄土宗の理想とする念仏法然撰と伝える『往生記』に種種念仏往生機として五種を挙げるなか、第五愚鈍念仏往生機として一六人の例が示されている。聖冏は『投機抄』に「愚鈍念仏往生の人は、正しくこれ宗の本意ほいなり」(聖典五・二六六)と注釈し、さらに『一枚起請之註』には「一文不智の愚鈍の身に成して尼入道等とは、これは愚鈍念仏第一の機なり。この機は唱うれば往生すとばかり信じて、この外に更に疑慮無く、分別無く、思量無く、智恵無く、ただ仰ぎて仏を頼むを安心と為し、単に信じて名を唱うるを起行と為す。口に任せて声を出して称うるばかりを所作と為す」(浄全九・五上~下)といい、たとえ能力的にすぐれた者であっても思慮分別をすることなく阿弥陀仏救済を信じて、愚痴にかえって念仏することが愚鈍念仏であり、浄土宗の本意であることを述べている。


【参照項目】➡種種念仏往生の機


【執筆者:沼倉雄人】