「行観」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぎょうかん/行観
仁治二年(一二四一)五月一八日—正中二年(一三二五)九月五日。諱は覚融。武蔵国鵜ノ木(東京都大田区)に住したことから「鵜ノ木の行観」とも呼ばれた。京都に生まれる。はじめ東山義観明に入弟し、続いて観智に師事したとされる。観智と共に浄土宗西山派西谷義の法興の法座に臨み、善導の浄土教を中心として修学。観智に伴い四国(讃岐・伊予)、広島、岡山を訪ね、さらに関東に遊化。鵜ノ木光明寺の近くの宝幢院で念仏教化する。帰京後に京都の禅林寺一九世に就任。特に讃岐の長福寺に暫留中に廃立・傍正・助正の名目(術語)を案出。法然が『選択集』四私釈において、『無量寿経』三輩段に諸行と念仏が並べ説かれているのは、廃立・傍正・助正の三義を明かすため、と釈しているが、これをうけて法興以来、廃立・傍正・助正の三義をもって善導の浄土教を講録している。著書に『私記』(『秘鈔』『鵜ノ木鈔』『宝幢院私記』ともいう)三五巻、『浄土童蒙指帰名目』一巻、『浄土宗法門大図』一巻、『浄土法門大図名目』一巻等がある。
【資料】『西山派十二祖賛略伝』、『法水分流記』(野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)、『浄土承系譜』
【参考】稲垣真哲「行観上人の生涯」(西全別巻四「観経疏私記」解題)
【執筆者:中西随功】