「巌宿」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版
がんしゅく/巌宿
慶長一五年(一六一〇)頃—貞享四年(一六八七)一二月八日。広蓮社信誉称阿。字は直至。増上寺二九世。生国は伊勢国山田、姓氏は伊丹氏。生国信行院で剃髪、のち増上寺定誉随波に師事。江戸崎大念寺八世、小石川伝通院一〇世を経て、延宝八年(一六八〇)増上寺二九世。翌年徳川秀忠五〇回忌万部経法会を修す。また経蔵を大改造し、傅大士、普成・普建二童子像を安置した。天和二年(一六八二)退任し、麻布一本松(現・東京都港区麻布台)に隠居した。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】