「寛雅」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版
かんが/寛雅
一
一二世紀頃、生没年不明。「大納言律師寛雅」(『四巻伝』『十六門記』)、「大納言法印寛雅」(『琳阿本』『九巻伝』)、「権律師寛雅」(『四十八巻伝』)と諸伝により相違する。醍醐(伏見)に住した三論宗の学僧とされるが、伝歴未詳。法然が修学時代に阿性房印西と共に聞法したところ、寛雅はその学才を称美讃嘆し、文函十余号を譲渡したという。『翼賛』四によると木寺の法印寛雅と混同されるのは誤りである。
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、法然上人伝研究会編『法然上人伝の成立史的研究』二・対照篇(臨川書店、一九九一)
【執筆者:南宏信】
二
一一世紀中頃、生没年不明。木寺(仁和寺院家)の法印。法勝寺上座、権大僧都。源雅俊の子、俊寛の父で、公胤の叔父。法然が参学した大納言律師寛雅と混同されることが多く、詳細は不明。
【資料】『翼賛』五七
【執筆者:編集部】