「応和宗論」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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おうわのしゅうろん/応和宗論
応和三年(九六三)八月、宮中の法華十講において、余慶・覚慶・良源ら天台宗僧と、安秀・法蔵・仲算ら法相宗僧との間に行われた論争。この宗論では、九世紀初めに法相宗僧徳一と最澄との間に起こった三一権実論争以来の課題であった定性二乗の成仏の可否に関し、成仏を可とする天台宗の主張が優位になると同時に、法相宗僧を論破した良源の名声が高まり、後の一八代天台座主就任への道筋をつける結果となった。
【資料】「応和宗論記並恩覚奏状」(仏全一二四)、「慈恵大僧正伝」(『続天台宗全書』史伝二)
【参考】上田進城「応和の宗論」(『密宗学報』一九四)、尾崎光尋「慈恵大師と論議」(叡山学院編『元三慈恵大師の研究』同朋舎、一九八四)、畑中智子「応和の宗論関連記事にみる良源像変遷の一側面—『太平記』の記述を中心に」(『仏教文学』二八、二〇〇四)
【参照項目】➡良源
【執筆者:冨樫進】