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「建中寺」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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名古屋市東区筒井。徳興山崇仁院。尾張[[教区]]№一五。慶安三年(一六五〇)成誉廓吞の[[開山]]。[[開基]]は尾張藩主徳川光友。慶安三年尾張藩主徳川義直の遺言により[[追善]]のため一寺を創建した。このときに[[檀林]]結城[[弘経寺]][[住職]]廓吞が招かれて[[開山]]となる。その由緒から翌年上洛参内して[[常紫衣]]地無[[本寺]]の<ruby>[[綸旨]]<rt>りんじ</rt></ruby>を、また藩主徳川光友から五〇〇石の[[供養]]料をもらっている。中興は列誉弁及。天明五年(一七八五)諸堂舎が焼失したが再建。[[住持]]の継目相続は尾張藩主の任命による。そして江戸城の将軍へのお礼の登城を慣例とした。誓安院、宗心院などの<ruby>[[塔頭]]<rt>たっちゅう</rt></ruby>がある。藩主歴代の[[御霊屋]]がある。
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名古屋市東区筒井。徳興山崇仁院。尾張[[教区]]№一五。慶安三年(一六五〇)成誉廓吞の[[開山]]。[[開基]]は尾張藩主徳川光友。慶安三年尾張藩主徳川義直の遺言により[[追善]]のため一寺を創建した。このときに[[檀林]]結城[[弘経寺]][[住職]]廓吞が招かれて[[開山]]となる。その由緒から翌年上洛参内して[[常紫衣]]地無[[本寺]]の<ruby>[[綸旨]]<rt>りんじ</rt></ruby>を、また藩主徳川光友から五〇〇石の[[供養]]料をもらっている。中興は到誉弁及。天明五年(一七八五)諸堂舎が焼失したが再建。[[住持]]の継目相続は尾張藩主の任命による。そして江戸城の将軍へのお礼の登城を慣例とした。誓安院、宗心院などの<ruby>[[塔頭]]<rt>たっちゅう</rt></ruby>がある。藩主歴代の[[御霊屋]]がある。
 
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【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『尾張志』二
 
【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『尾張志』二
 
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【執筆者:宇高良哲】
 
【執筆者:宇高良哲】

2025年7月11日 (金) 06:28時点における版

けんちゅうじ/建中寺

名古屋市東区筒井。徳興山崇仁院。尾張教区№一五。慶安三年(一六五〇)成誉廓吞の開山開基は尾張藩主徳川光友。慶安三年尾張藩主徳川義直の遺言により追善のため一寺を創建した。このときに檀林結城弘経寺住職廓吞が招かれて開山となる。その由緒から翌年上洛参内して常紫衣地無本寺綸旨りんじを、また藩主徳川光友から五〇〇石の供養料をもらっている。中興は到誉弁及。天明五年(一七八五)諸堂舎が焼失したが再建。住持の継目相続は尾張藩主の任命による。そして江戸城の将軍へのお礼の登城を慣例とした。誓安院、宗心院などの塔頭たっちゅうがある。藩主歴代の御霊屋がある。


【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『尾張志』二


【執筆者:宇高良哲】