「良求」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
りょうぐ/良求
一
一四世紀前半頃の人。生没年不明。下総国鏑木(千葉県旭市鏑木)光明寺に住し、建武四年(一三三七)七月道光集録の『黒谷上人語灯録』一八巻を同輩数人と共に書写し、一本を金沢称名寺に納めた。
【資料】『拾遺和語灯録』奥書、金沢称名寺同書写本奥書
【参考】河住玄『黒谷上人語灯録概説』(欣求庵、一九八一)
【執筆者:笠島崇信】
二
—寛文六年(一六六六)八月、一説に寛文五年。専蓮社門的。奥州宮城郡の人。俗姓は小林氏。良秀に嗣法。寛永元年(一六二四)奥州津軽弘前に専求院を建立し、同一九年七月弘前に天徳寺を再建、同二〇年宮城郡荒浜村(仙台市若林区)に浄土寺を起立し、寛文六年宮城郡に春照寺を開いた。
【資料】『総系譜』上(浄全一九)、『蓮門精舎旧詞』四九、五〇(続浄一九)
【執筆者:笠島崇信】