「来世」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
らいせ/来世
死後来るべき世界をいう。仏教では過去・現在・未来の三世を説くが、来世は未来世にあたる。すぐ次の世を順次生、次の次の世を来来世というが、一般には死後の未来をいう。漢音では「らいせい」と読み、また「来生」ともいう。死後に赴く世界は他界ともいい、浄土教では極楽浄土、真言各宗派では密厳浄土、日蓮宗では『法華経』に霊山浄土を説くが、その中で最も広く信仰されているのは極楽浄土である。『古今著聞集』には「また来世に明眼をえて、次第に昇進すべきなり」とあり、死後の冥福を祈って捧げる金銭を来世金という。日本では、記紀神話に黄泉の国、根の国があり、仏教でいう六道や浄土はともに不可視的世界であり、日本民俗の信仰では、死後恐山・善光寺・弥谷山などの霊山・霊場に行ったり、沖縄各地ではニライカナイなど海上はるかな他界に赴くとされ、最終的にはそこに住み、年に数回この世に来訪すると信じられた。いうならば、日本では仏教と民俗信仰のアニミズム的な霊魂観が習合して、かかる信仰形態を生み出したものと考えられる。仏教で死後の世界が問題になったのは、釈尊の入滅後で、インド固有の輪廻思想を取り入れて業論に基づき独自の輪廻思想を立てた。因果応報の観念がそれである。涅槃とは、輪廻の状態を脱したことをいい、法然は「一紙小消息」に「離れ難き輪廻の里を離れて、生まれ難き浄土に往生せんこと、悦びの中の悦びなり」(聖典四・四二一/昭法全四九九~五〇〇)と述べ、浄土とは輪廻思想を脱却した世界であると述べている。
【参考】渡辺照宏『死後の世界』(岩波書店、一九五九)、棚瀬襄爾『他界観念の原始形態』(京都大学東南アジア研究センター、一九六六)、柳田国男『先祖の話』(『定本 柳田国男集』一〇、筑摩書房、一九六二)、坪井洋文「日本人の生死観」(『民族学からみた日本』河出書房、一九七〇)
【執筆者:藤井正雄】