「菩提」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ぼだい/菩提
一
煩悩の迷いから目覚めたさとりの智慧。ⓈⓅbodhiの音写語。覚・智・道などと訳す。涅槃がさとりの状態を表すのに対して、菩提はさとりの内容を表す用語。『大智度論』五三(正蔵二五・四三六中)や『俱舎論』二五(正蔵二九・一三二中)などによれば、菩提には、阿羅漢(声聞)の菩提、辟支仏(独覚)の菩提、仏の菩提(無上菩提)の三種があるとされる。中でも、仏の菩提は他の二菩提と異なり阿耨多羅三藐三菩提(Ⓢanuttara-samyak-saṃbodhi)と音写され、無上正等菩提、無上菩提、等正覚などと訳される。これは、この上なくすぐれ、正しく平等円満である特別の菩提とされる。なお、「菩提」を略して「[ササ丶(要作字)]」と記すことがあるが、カタカナの「サ」を二つ重ねて点を付したように見えることからこれを「ササ点菩提」または「一点菩提」と称している。
【参照項目】➡阿耨多羅三藐三菩提
【執筆者:榎本正明】
二
さとりに至るための原因としての道、仏道のこと。『無量寿経』上に説かれる歎仏頌の「不如求道」(聖典一・一九/浄全二三・一八)や四誓偈の「必至無上道」「我至成仏道」(共に聖典一・四〇/浄全二三・四六)「志求無上道」(同/浄全二三・四八)と説かれる「道」の原語はⓈbodhiである。『無量寿経』の他の多くの箇所ではⓈbodhiを「覚」と漢訳しているので、これらの箇所ではさとりに至る途上の在り方を意味している。『大乗義章』一八では、菩提を「菩提は胡語(中央アジア・インドの言葉の意味)にして、此には翻じて道と名く。果徳円通する、之を名けて道と為す」(正蔵四四・八二八中)とし、さとりの功徳はあまねくゆきわたり、さとりに至る途上にも存するので道となすと解釈する。
【執筆者:榎本正明】