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「樋口便孝」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版

ひぐちべんこう/樋口便孝

嘉永三年(一八五〇)—大正一〇年(一九二一)八月八日。善蓮社立誉方阿、あざな顕道。明治期の宗政家。東京下谷にて、書家樋口逸斎いっさいの二男として生まれ、小石川無量院篤誉便周について七歳で得度縁山学寮止観室にて研鑽し、明治一四年(一八八一)結城弘経寺住職となった。宗会議員、教学院議員、第一大教区教務所長を経て、同三八年宗務執綱に就任、同三九年第一教校が芝中学校と改められたときには寝食を忘れて、その創立に心血を注いだ。大正四年(一九一五)通元院兼務、同一〇年七二歳にて示寂。


【執筆者:清水敏孝】