「吉川大順」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
よしかわだいじゅん/吉川大順
天保三年(一八三二)一一月八日—大正一〇年(一九二一)九月二三日。善蓮社戒誉性阿。字は無作。播磨国明石郡(兵庫県明石市)に出生し、天保一三年(一八四二)得度。安政元年(一八五四)深川霊巌寺において石井大宣より宗戒両脈を相承し、同年大島宝樹院に晋董。以後、神戸藤之寺、大阪西光院、佐太来迎寺を歴住し、明治一六年(一八八三)勝尾山二階堂の徳本寺に晋山。同三九年一〇月には、知恩院前加行道場の教誡師を委嘱され、同四四年一一月まで学徒の指導に当たるなど道俗の教化に尽力する。同四三年、新たに創建された慧光院に転住した。持戒堅固な修行生活を送り「西に戒誉、東に(矢吹)良慶」と称された。
【参考】神谷随巌編『戒誉上人遺講』(慧光院、一九二二)、永井随正『慧光院開山戒誉上人』(慧光院、一九七四)、田中捨次郎「高僧伝 吉川大順」(『浄土』二五—九、法然上人鑽仰会、一九五九)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:曽田俊弘】