「松濤泰巌」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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まつなみたいがん/松濤泰巌
明治一六年(一八八三)六月一八日—昭和三七年(一九六二)六月二七日。仙松光院徳蓮社性誉顕阿。現在の福井市に生まれ、明治二九年(一八九六)芝宝松院の松濤松厳に師事、同三三年得度。同四一年東京帝国大学哲学科教育学専攻を卒業後、大学院へ進学し教育学を学び、特に訓育に専心する。大正三年(一九一四)淑徳高等女学校教頭および宗教大学講授を兼任、同一二年宝松院二二世住職となる。同一四年九州帝国大学教授に転任、のちに法文学部長となり、昭和八年(一九三三)退官の際に蔵書二万冊を大学へ寄贈(松濤文庫)する。その後も東邦大学などの教授を歴任し、学校教育の発展に大いに貢献した。
【参考】大日本学術協会編『日本現代教育学大系』(モナス、一九二八)
【執筆者:伊藤瑛梨】