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「敦煌」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:30時点における最新版

とんこう/敦煌

中国甘粛省の最西に位置する現在の敦煌市。年間平均気温一〇度以下、降水量五〇ミリに満たない乾燥地帯で、古来多くの文物や民族、そして文化までもが盛んに往来した東西交通の要衝としての役割を果たした地域であった。古く先秦時代には月氏や匈奴きょうどが治め、前漢が統治するようになると西への拠点として玉門関と陽関が設置され、以後西域経営の中心的な都市となった。魏晋南北朝には西涼・北魏が統治した。隋唐の両王朝も敦煌を掌握していたが、安史の乱(七五五~七六三)によって統治力を失った唐にかわって、吐蕃や帰義軍節度使が支配する時期もあった。その後さらに西夏、そしてモンゴルの支配下となるが、その頃はすでに南海ルートが主流となりはじめたので、人と文物の往来が激減してゆく敦煌は、その役割を失い、次第に衰退していった。

中国仏教史における役割として注目できることは、敦煌の中心部から東南十数キロの郊外、鳴沙山めいささんの東側に約一六〇〇メートルにわたって開鑿かいさくされた莫高窟ばっこうくつ・西千仏洞・安西楡林窟ゆりんくつ・水峡口窟など約六〇〇もの石窟群の存在である。これは龍門石窟洛陽)、雲崗うんこう石窟(大同)とともに中国三大石窟の一つに数えられている。そのはじまりは、四世紀中葉の北涼にまでさかのぼり、以後モンゴル時代にいたる約千年間にわたって造営が継承された。

この敦煌の石窟において、二〇世紀のはじめに世界仏教学界を驚愕させた大きな出来事があった。それは清・徳宗二六年(一九〇〇)五月、この莫高窟を管理していた道士の王円籙おうえんろくによって、第一六窟の右壁に壁土で封鎖されていた第一七窟(蔵経洞)が偶然にみつかり、そこから大量の古文書類が発見されたことである。この石室が封鎖されたのは、収蔵されていた文書に記されている年代から推して、およそ一一世紀のはじめ頃とされているが、それが誰によって、また何を目的として封鎖されたのかは今でも謎のままである。一説には西夏の侵攻から守るために隠匿されたとする説や、不要となったために廃棄されたとする説などが立てられている。その発見された資料の総数は五万点を超え、そのうち八五%以上が仏教文献であったことは、二〇世紀の仏教文献学や仏教書誌学に大きな飛躍をもたらすことになった。これら資料が発見されてほどなくして、イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・日本の探検隊によって持ち去られ、また国外への流出に危機感をもった当時の中国国民党政府も遺された文献を北京へと搬送し、以後それらの文献はそれぞれの国と地域、または個人に分蔵されることになった。それらは現在では概ね分類整理がなされ、目録や写真集が順次公開されている。これらは一一世紀以前の資料であるため、現在では散逸してしまった資料や、新出資料なども含まれていたことも判明した。中でも浄土宗矢吹慶輝が大正四年(一九一五)に大英博物館に所蔵されるスタイン蒐集の敦煌石室仏教文献を調査し、その中に唐代に盛行しながらも数次にわたる排斥によって壊滅した三階教団の典籍を復元することに成功し、その成果として『三階教之研究』(岩波書店、一九二七)が上梓されたことはよく知られている。また敦煌仏教文献には北朝から隋唐の写本も少なからず遺されており、それらは経典の印刷がはじまる以前の貴重な資料であり、このため修訂される前の原本や、それに近しい資料である可能性もあることから、現行本との比較にも用いられている。

浄土教の文献としては、「浄土三部経」をはじめ、善導の『往生礼讃』や法照の『浄土五会念仏誦経観行儀』など儀礼書が多く含まれており、『浄全』に収められている現行本とは相違する文言も少なくない。

これら敦煌文献の多くは漢語の文献であるが、それは仏典が中心となっているからである。他にもサンスクリット語・コータン語・クチャ語・ソグド語・チベット語・西夏語・ウイグル語・モンゴル語などがあり、内容もゾロアスター教・マニ教・ネストリウス派のキリスト教など西方宗教の聖典類、唐代に盛行した変文や講経文、それに僧詩や仏教を題材とした民話などの仏教文学、さらには経済文書・売買の契約書・啓蒙書・児童教育のための教科書など、当時の信仰や生活の様態を彷彿させる文献が少なからず遺されている。それらの文献は敦煌で発見されたものではあるが、そうした文献に反映される実態が敦煌という西陲せいすいの一都市のみに限定されて行われていたのか、それとも長安洛陽といった中原でも同じように行われていたのか、これについては異論があるが、いずれにせよ、これら敦煌石室から発見された仏教文献を中心とする言語学・文学・宗教学・考古学や、美術・政治・経済・産業・交通などの文書はそれぞれの学問分野の進展に大いに寄与するものであり、こうした敦煌文書を研究対象とする学問を、総称して敦煌学または敦煌研究という。


【参考】『講座敦煌』全九冊(大東出版社、一九八〇~一九九二)、『敦煌莫高窟』(平凡社、一九八二)、『敦煌宝蔵』全一四一冊(新文豊出版、一九八六)、季羨林編『敦煌学大辞典』(上海辞書出版、一九九八)【図版】巻末付録


【執筆者:齊藤隆信】