「宅磨勝賀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版
たくまのしょうが/宅磨勝賀
生没年不明。一二世紀後半から一三世紀初めの絵仏師。俗名は宅磨為基で宅間あるいは託磨、詫磨などと記され、また法名は証賀、澄賀ともある。真乗房と号す。平安時代から室町時代初頭まで存続した、絵仏師の代表的流派宅磨派の始祖といわれる宅磨為遠の息子。安元元年(一一七五)出家、のちに法橋から法眼になっている。『神護寺略記』には法印の記載もある。建久二年(一一九一)一二月二八日には十二天屛風を東寺に納めていて、現存している唯一の作品となっているとみられるが、その抑揚に富む描線は宋画の手法を採り入れたものとされる。元久二年(一二〇五)には、九条兼実の命により、法然の瘧病の御祈請のために善導大師の像を描いている。
【資料】東京大学史料編纂所編『大日本史料』四—三・建久二年一二月二八日条(『東寺長者補任』、『仁和寺御伝』)、『神護寺略記』(仏全一一九)、『四十八巻伝』一七(聖典六)
【参考】蓮実重康「詫磨勝賀論」(『美術史』三六、一九六〇)
【執筆者:野村恒道】