「尊躰寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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そんたいじ/尊躰寺
甲府市城東。功徳山深草院。山梨教区№四。大永元年(一五二一)三河大樹寺開山愚底の弟子印公の開山。武田信玄の父信虎の帰依を受けて元柳町通りに建立。寺名は、信虎の子息の法名尊躰童子に因む。院号について『浄土宗寺院由緒書』上には「源正院」とあるが、これは尊躰童子の法名に因む。天文二年(一五三三)後奈良天皇から功徳山天尊躰寺の勅額を賜る。天正一〇年(一五八二)徳川家康の甲斐入国後も、善導作と伝えられる本尊真向阿弥陀如来は家康の帰依を受けた。文禄年間(一五九二—一五九六)甲府築城により現在地に移転。かつては寮舎一六、末寺一〇箇寺を有していた。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『甲斐国志』七三(『甲斐叢書』一一)
【参考】『甲府市史』通史編第一巻原始・古代・中世(甲府市、一九九一)
【執筆者:𠮷水成正】