「文賀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
もんが/文賀
—元和二年(一六一六)二月一〇日。貞蓮社念誉頑硯。『蓮門精舎旧詞』二〇によると大誉。深川本誓寺開山。相模国小田原本誓寺貞誉の室に入り剃髪、のち鎌倉光明寺で宗乗を学び本誓寺六世となる。その後、天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の北条攻めの際に小田原本誓寺が焼失、江戸に出て存応の弟子となり桜田に住す。文禄四年(一五九五)徳川家康から八重洲河岸に寺所地五七七三坪を拝領し江戸本誓寺を創建、開山となる。慶長一一年(一六〇六)江戸城拡張に伴い馬喰町に移転。天徳寺・誓願寺・大養寺の住僧とともに、江戸城に安置された二代将軍秀忠の尊敬した黒本尊の供僧をつとめた。
【資料】『浄土宗寺院調書』(浄全二〇)、『総系譜』中(浄全一九)、『蓮門精舎旧詞』二〇(続浄一八)
【参照項目】➡本誓寺一
【執筆者:伊藤弘道】