「不離仏・値遇仏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふりぶつ・ちぐうぶつ/不離仏・値遇仏
覚りを求める菩薩がなすべきことで、仏と片時もはなれずにいること。聖光が念仏三昧について説示するために『大智度論』の説を釈して『徹選択集』下の冒頭に説示していることで知られている。すなわち、「問うて曰く、念仏三昧とは何の義ぞや。答えて曰く、念仏三昧とはこれ不離仏の義なり。問うて曰く、不離仏とは何の義ぞや。答えて曰く、不離仏とは値遇仏の義なり。問うて曰く、値遇仏とは何の義ぞや。答えて曰く、値遇仏とは、因地下位の菩薩は、必ず果地上位の如来に値遇して刹那片時も仏を遠離すべからざること、譬えば嬰児の母を離れざるがごとし」(聖典三・二九一)という説で、念仏三昧とは尋常における称名念仏行によって仏(阿弥陀仏)と刹那片時も離れずに値遇することであるとし、この説示によって念仏行が菩薩行と同等の徳の高い行であるということが主張されていると考えられる。
【参考】髙橋弘次「『徹選択集』の思想」(『続法然浄土教の諸問題』山喜房仏書林、二〇〇五)、藤本淨彦「聖光上人における〈不離仏値遇仏〉の思想—宗教的実存の視点から—」(『源智・弁長・良忠三上人研究』三上人御遠忌記念出版会、一九八七)
【参照項目】➡念仏三昧一
【執筆者:郡嶋昭示】