「展墓の御影」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:29時点における最新版
てんぼのみえい/展墓の御影
法然上人御影の一種で、岡山県久米郡久米南町誕生寺の本尊がそれにあたるという。念仏教化に奔走する法然は両親の展墓(墓参)も叶わず、自作の御影を弟子・熊谷直実に託し郷里へ遣わして墓参させ、その御影を現在の誕生寺に安置し本尊としたという伝承による。同寺に残る寛政二年(一七九〇)の「諷誦文」に「大師建立浄土宗享寿四十三御時、自躬彫刻影像而属熊谷入道送故郷擬両親追慕焉、正今宮殿奉安置是也」とあり、元禄一六年(一七〇三)に知恩院の僧・義山によって編集された『翼賛』五〇に掲げられた誕生寺伝にも「影堂の本尊は上人四十三歳の真形、三尺の坐像の木像なるを、熊谷入道持参し奉て安置する所、大師御自作の尊像なりと申伝ふ」(浄全一六・七二九下)とあることから、江戸期には本名称が付されていた可能性がある。なお、延宝五年(一六七七)に編まれた『誕生寺略縁起』(誕生寺蔵)にも、この御影の伝承に近似した内容が見られる。
【参考】平祐史「美作誕生寺所蔵近世文書」(『仏教文化研究』二二、一九七六)、水野恭一郎「美作誕生寺についての若干の考察」(恵谷隆戒先生古稀記念会『恵谷先生古稀記念 浄土教の思想と文化』同朋舎、一九七二)
【執筆者:藤田直信】