「獅ヶ谷仏定」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ししがたにぶつじょう/獅ヶ谷仏定
天保九年(一八三八)九月二一日—大正一三年(一九二四)五月二二日。心蓮社念誉名阿。字は一専。清浄華院七〇世。現在の広島県呉市安浦町大字内平に吉岡和作の次男として生まれる。嘉永二年(一八四九)上京し増上寺学寮で宗乗を学び、慶応三年(一八六七)上洛し新京極光徳寺の住職となった。明治四年(一八七一)に法然院、同一五年清水坂西光寺、同二五年筑後善導寺五七世などの住職を歴任し、大正三年(一九一四)には清浄華院七〇世に就任した。その間、朝鮮開教や高等家政女学校(現・京都文教学園)創建に尽力した。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:齋藤知明】