万延二年(一八六一)正月、法然上人六五〇年遠忌にあたり孝明天皇より慈教大師の諡号しごうが下賜かしされたのを記念して結成された講。やがて明治になり、寺禄を離れたため経済的に困窮を余儀なくされた総本山知恩院を維持するため、明治一一年(一八七八)には慈教講社施設の設立を門末に通達し、区々ごとの門末講を慈教講社へと改称させた。
【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:工藤美和子】