「沢崎梁寿」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さわざきりょうじゅ/沢崎梁寿
明治二八年(一八九五)一月五日—昭和五五年(一九八〇)四月一四日。禅蓮社定誉純阿、字は黙水。金戒光明寺七〇世。現在の福井県南条郡南越前町出身。敦賀西福寺の川合梁定につき得度する。大正六年(一九一七)、佛教専門学校卒、同八年、宗教大学研究科別科卒。大阪黒田寺住職ののち、京都西正寺の住職につく。佛教専門学校幹事、黒谷本山再建委員、黒谷本山門末会議員、黒谷本山協議会副議長、黒谷本山協議会会長を歴任。昭和四五年(一九七〇)五月、金戒光明寺七〇世となる。法主在任中には、同四六年一二月、御影堂の宮殿完成、同四七年一〇月、五重相伝開筵、同四八年四月、開宗八〇〇年度慶讃大法要厳修、同五二年一一月、黒谷浄土宗と浄土宗の合併などがあった。
【執筆者:角野玄樹】