かつて金戒光明寺および門末寺院が浄土宗から分立した際の宗名。金戒光明寺は昭和二一年(一九四六)一〇月、渡辺教善執事長のとき浄土宗から分立し、同寺務所に宗務所を置き黒谷浄土宗と名乗った。以降同宗から、四人の執事長の間に五代の法主が誕生し、独立運営していたが、同五二年対等合同で浄土宗に復帰、浄土宗大本山の一つになる。
【参考】高橋良和『分裂十五年—けわしかった浄土宗合同への道—』(中外日報社、一九六三)
【執筆者:芳井教哉】