「光照寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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こうしょうじ/光照寺
京都市山科区北花山山田町。頂後山。京都教区№三一九。寺伝によると、木曽義仲が都に乱入のとき、法然が難を逃れた遺跡と伝える。行基の草創で一切経谷の堂舎の一宇と伝え、後に光照が再興して浄土宗に改め光照寺と号したという。「我、聖教を見ざる日なし。木曽の冠者、花洛に乱入の時、ただ一日聖教を見ざりき」(『四十八巻伝』五、聖典六・五四/法伝全二三)と法然が述懐するように、寿永二年(一一八三)一一月一九日に義仲が後白河法皇の法住寺の御所を攻めたとき、法然は吉水の庵室から当寺に難を逃れ、翌日には吉水に戻ったという。
【資料】『蓮門精舎旧詞』四四(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『翼賛』五
【参考】浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)
【執筆者:山本博子】