「還無」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版
げんむ/還無
天正七年(一五七九)—慶安三年(一六五〇)六月二〇日。弁蓮社業誉。字は空脱。増上寺二一世。生国は江戸。姓氏は土岐氏とも。禅宗から転じ、幡随意に師事。結城弘経寺一三世、鎌倉光明寺三五世を経て、寛永一七年(一六四〇)増上寺二一世に就任。徳川家光の帰依を受け、徳川秀忠一三回忌・同室一七回忌万部経法会を修した。慶安三年隠居時に養老料二〇〇石が下賜され、これが増上寺隠居料の初めとなった。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】