浄土往生の正行である称名念仏を修しながら、他の種々の雑行をも修しているものが往生を遂げること。法然は『三心料簡』に「念仏と余善兼行の者に亦二有り。念仏の方に心重きは余行を雑まじうとも極楽に生ず。余行の方に心重きは念仏を助すけとすとも懈慢に生るべし」(昭法全四五〇)として、兼行の比重によって往生の得否を説いている。しかしこの兼行人の往生の可否については法然門下において種々に議論される。
【執筆者:兼岩和広】