「大谷愍成」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版
おおたにみんじょう/大谷愍成
明治四年(一八七一)三月一七日—昭和三年(一九二八)七月一一日。檀蓮社戒誉忍阿。字は精進。愛知県海部郡蟹江町に原田由右衛門の三男として生まれる。明治一一年(一八七八)四条大宮西方寺の秦大成について得度を受け愍成と改め、秦を姓としたが、後に大谷に改姓した。同二四年七月浄土宗学第五教校を経て浄土宗学本校、浄土宗専門学院と進み俱舎を究める。同三四年七月に卒業した後浄土宗学第一教校教授に任じられる。在職二年を経て浄土宗高等学院教授兼幹事に就任。その後、宗教大学舎監・第一大教区視教・第一大教区教務所長を歴任。同三六年九月には滝山大善寺に晋董するが同三八年二月には西久保天徳寺に転じる。大正八年(一九一九)に増上寺執事長、同一三年には浄土宗執綱に就任し、関東大震災後の教学の復興と財政の基礎の確立に尽力した。同一五年四月には大正大学の設立にあたり、推挙されて理事長となった。
【参考】藤本了泰『浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:永田真隆】