「了月」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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りょうげつ/了月
貞享二年(一六八五)—宝暦八年(一七五八)一〇月一七日。神蓮社霊誉。字は普照。京都の人。増上寺三二世貞誉了也のもとで修学した。傍らで狩野常信について画を学び、天性の画手で万象を模したという。特に墨梅を得意とし、将軍徳川吉宗から恩賞にあずかるほどであったという。のち、法兄了説の跡を継いで浅草行安寺(東京都台東区松が谷)に入った。老後は寺を法弟了旭に譲るつもりであったが夭逝したため、法甥了真に譲り各地を歴遊した。
【資料】『新撰往生伝』五(浄全一七)、『三縁山志』八(浄全一九)
【執筆者:笠島崇信】