「祐崇」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ゆうそう/祐崇
応永三三年(一四二六)—永正六年(一五〇九)一一月八日。長蓮社観誉。如空または浄業ともいう。浄土宗で最初に十夜法要を行った人。鎌倉光明寺九世。上総国の生まれ。一三歳で光明寺聖誉慶順について出家受戒。浄土教だけでなく天台・真言も研究した。文明一四年(一四八二)慶順から璽書を授かり光明寺九世となる。祐崇は教学面ばかりでなく積極的に教線の拡張につとめ、上総国木更津選択寺・武蔵国品川願行寺・駿河国府中宝台院などの諸寺を開創した。また鎌倉佐介ヶ谷に創建された蓮華寺を材木座の現在地に移し、光明寺と改称したともいわれる。明応四年(一四九五)三月、後土御門天皇の勅命により宮中において浄土教を講説し、宸筆の『阿弥陀経』を賜り、ついで二一日間にわたって知恩院で講説した。そのため翌四月に光明寺は勅願寺と関東総本山となり、さらに祐崇は常紫衣の綸旨を賜った。同年一〇月には真如堂(真正極楽寺)の大衆を率いて紫宸殿において十夜法要を行い、一段と公家衆の信仰を深めさせた。以後十夜法要は勅許によって浄土宗で行われるようになり、季節的に収穫祭などの庶民の風俗と結びついて今日に及んでいる。門弟には正空・崇慧・慧仁・如忠らがいる。また、著書には『観無量寿経疏要解鈔』三巻、『二蔵頌義見聞』一〇巻、『二蔵頌義聞書』一〇巻、『円戒略法式』などがある。
【資料】『鎮流祖伝』四、『新撰往生伝』一、『鎌倉光明寺志』、『総系譜』上、『鎌倉光明寺文書』(宇高良哲『関東浄土宗檀林古文書選』東洋文化出版、一九八二)
【執筆者:𠮷水成正】