「無量光寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:34時点における最新版
むりょうこうじ/無量光寺
一
和歌山市吹上。里宮山寿経院。和歌山教区№八。本弁の開基。文政一二年(一八二九)、徳本の高弟であった本弁が紀伊国紀州藩主徳川治宝の内命を得て、京都の法然院を模し不断念仏道場として創建。遺徳により徳本を開山とする。明治四一年(一九〇八)、廃寺になった末寺の大福寺より頭部のみの首大仏を迎え入れる。九品院(愛知県岡崎市)所蔵と同一の『徳本行者集』写本や広島県安芸高田市甲立の民家から移管された資料など徳本関係資料を多く伝える。徳本自筆の名号を所蔵。
【資料】『徳本行者伝』付録「法弟小伝」、『紀伊続風土記』五
【執筆者:横田善教】
二
兵庫県明石市大観町。月浦山功徳院。月見寺ともいう。兵庫教区№一四〇。慶長一八年(一六一三)琳誉益公開山。『源氏物語』にある明石入道の屋敷であった「浜の館」跡といわれ、門前にある細い道は、「蔦の細道」の古跡。境内には、源氏稲荷が祀られている。作家倉田百三が大正年間にしばらく滞在し、武者小路実篤ら文化人と交流していた。昭和二〇年(一九四五)の空襲で焼け残った山門は、左甚五郎作といわれている。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三一
【参考】『浄土宗兵庫教区寺院名鑑』(兵庫教区教務所、一九七四)
【執筆者:明石和成】