「無観称名」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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むかんしょうみょう/無観称名
無観称名義ともいう。法然の念仏観を表す用語で、観想をせず称名だけを行う念仏のこと。敬西房信瑞の『明義進行集』に説かれる。信瑞は隆寛・信空に師事して浄土宗を学ぶ。『明義進行集』は法然に帰依した八名の諸宗学匠(静遍・明遍・隆寛・空阿・信空・覚愉・聖覚・明禅)の経歴や浄土教信仰を記したもので、巻二のはじめに「源空上人ト同時ニ出世セル諸宗ノ英雄ノナカニ、カノ化導ニ随テ、サハヤカニ本宗ノ執心ヲアラタメテ、専無観ノ称名ヲ行シテ、往生ノ望ヲトケタルヒトオホシ」(『明義進行集影印・翻刻』一〇五)とあり、法然の教化で諸宗の学匠たちが本宗の執心をあらため無観称名を行じて往生を遂げたことを主張する。法然の念仏観を無観称名と捉えることに特徴があり、これは観想を挟まずただ口に阿弥陀仏を称えるという意味で、法然の念仏観の大要をうまく言い当てたものといえる。もと信空の造語のようで、『明義進行集』信空段に引用される彼の消息に、「阿弥陀仏ヲ申セハ、極楽浄土ヘマイル事ニテ候ナリ、コノホカニ様アリテ、観法ナトヲシテ申ス事ニテハ候ハス、只口ハカリニテ申ス事ニテ候ナリ、サテコレヲハ無観称名ト申シ候ナリ」(『明義進行集影印・翻刻』一四五)とある。この造語をもとに『明義進行集』では、学匠たちが無観称名によって往生を遂げたという構想を立てる。ただし、法然の念仏観をよく表していても、この語が広く浸透したわけではない。鎌倉後期成立の『四十八巻伝』には『明義進行集』を元にした記述があるが、無観称名の語は採用しない。信空門流の一部の間で使われたのであろう。また鎮西義良忠も少し用いる。
【参考】望月信亨「信瑞の明義進行集と無観称名義」(『浄土教之研究』金尾文淵堂、一九二二、一九七七再刊)、大谷大学文学史研究会編『明義進行集影印・翻刻』(法蔵館、二〇〇一)
【執筆者:善裕昭】